2017年1月9日月曜日

粕汁

子供の頃に母親が作ってくれたことがあるのか、あったとしても覚えていないから1〜2回のことだと思うが、昨日、粕汁を初めて作った。
参考レシピは以下のとおり。どちらも参照しつつ、合わせ作った感があるが、それはとても美味しくできた。

http://park.ajinomoto.co.jp/recipe/card/709055
https://erecipe.woman.excite.co.jp/detail/d6f765a367eb44c33f5ddfafd0bcfbeb.html

美味しくて嬉しくて、喜んで立て続けに二杯食べたのは良かったが、よく考えなくてもこれはお酒の搾りかすな訳で、下戸の私としては、対策を打つべきだった。
食後、30分後には顔が真っ赤に赤鬼のようになって酔っ払っいとなり、朝方まで寝入ってしまった。ぐっすり寝入ってしまったせいで、明け方、ふと目が覚めて、自分は何でこんなに寝てしまったんだろうと考える始末。酔っ払いってこうなるんだなと勉強になった。

写真:噂の粕汁。

面白いことに、飲めないのだけれど、私は世の中の人が喜んで飲むお酒の味だけは知っておきたくて(欲張りというか、食いしん坊というのか飲みしん坊?!)、ワイン、ウイスキー、日本酒、ビールは家に軒並み揃えている。本当に舐める程度しか飲めない。
粕汁はあまりよく考えずに、しかも酒粕は濃厚な方が良いと思って、独自にかなり濃いめに作ってしまった結果、酔っ払って仕舞った次第。
大量に作ったので、今週の朝ごはんに食べようと思っていたけれど、こんなに酔っぱらうのであれば朝はダメでした。。。でも粕汁、美味しい!万歳。

2016年11月22日火曜日

ホスピタル・シック

 ホスピタル・シックなどという言い回しがあるかは分からないけれど、今の自分はホームシックならぬ、ホスピタル・シック状況にあるみたい。これは命に別状のない理由の入院だったから言えること前提で書きます。入院中は、何かあれば常に誰かが側に来てくれるという安心感があって、常に人の出入りがあって。ナースコールが常に鳴って。廊下をパタパタと走る看護師さんの足音がして。スタッフの人たちのおしゃべりも聞こえて。何かしらの音がして、結構騒がしいな、なんて思っていたのだけれど、今こうして一人暮らしの自宅に帰ってくると、本当に寂しい。一人暮らしに加えて、今はテレビも故障しているし、常に話せる友人がいるわけではない身。正直、これまでの人生で、一人暮らしを寂しいと感じたことは今まで一度もなかったけれど、今は声を大にして言いたい。一人暮らしは寂し過ぎる!早く辞めよう。今更だけど人が家庭を持つ意味がやっと分かった気がする。煩わしいのも楽しいことなんだな、多分。だから家族という単位はこれまで地球上で保たれているわけで。時間通りに出てくる三度の食事も有難くて懐かしい。病院の環境が良くて、きちんとゆっくり療養できたから、良い思い出となってしまっているんだろう。お世話になった皆さんにこれから会うこともないというのがまた寂しさを助長させている。病院には縁がない方がいいに決まっているけど、この寂しがり屋の性分は、三つ子の魂で昔からのことか。

2016年11月20日日曜日

急性虫垂炎の後

 一週間の入院を経験した。幸い、急性虫垂炎なので命に別状があったわけではない。人生で二度目の入院で、一度目は3歳だからほぼ何も覚えていない。ベッドに横たわっている際に、家族がお見舞いに来てくれたことをおぼろげに覚えている。家族の、母親の心配をよそに、小さすぎて状況を分かっておらず、結構、平気だったのではないかと思う。医師の診察のことなど何も覚えていない。
 今回は、記憶のあるという意味では、ほぼ初めての入院経験。全てが異体験。明るく元気な看護師さんたち。定期的に病室にやってくる医師たち。お掃除、ベッドシーツ替え担当のケアの方々。窓掃除とカーテン掛け替えの業者さん。いろいろな人たちが、結構せわしなく入れ替わり立ち替わりやってくる。一人暮らしの部屋と違って、もちろんドアノックはあるのだけれど、急に誰かが入ってくるので(当然拒否権なし!)、慣れるまでちょっと時間がかかった。
 退院して思ったことは、とにかく、自分のために誰かが来てくれないことの何と寂しいこと!そして、毎回栄養バランスの整った食事が決まった時間に用意されることの有り難さ!参考までにメニュー表を持って帰りました。消化に良い食事ってこういうことなんだな、自分がいつも作る食事は一人用なので種類が少なく、炭水化物に偏りがち。そして食事メニューの見直しで、ポトフみたいな野菜煮込みや、鶏肉をもう少し食べようかなとか、いろいろな気づきの点がありました。(既に遅いけど)本気で早く結婚して、家族を作りたい、とやっと、ようやく初めて思えました。入院までしないと自分で分からなかったみたい。何事も経験しないと分からない性質なもんで。
 あとは、やっぱり元気いっぱいの看護師さんたちに本当に救われました。感謝の気持ちでいっぱいです。

2015年11月20日金曜日

再訪

1週間前に、わずかな時間ながら5年半過ごした町を再訪。懐かしい人々に会え、1年前とはまだそんなに変わってないことを確認して帰ってきた。もちろん時は過ぎるのだけど、変わらなく続く生活の営みみたいなものに触れると安心するみたい。自分自身は、実は飽きっぽいようで、常に変化がないとダメみたいだけれども。
写真は、愛する、イスタンブールの老舗ケバブ料理のデベリ(Develi)にて。ナスのケバブと、辛いトマトソースに乗っかったケバブ。懐かしい友人と語らいながら、変わらず美味しい。


2015年5月17日日曜日

長いスカートと自転車

今日夕方、スーパーからトマト缶を買って帰る途中、道の向かい側で長いスカート履いた女性と横に自転車、さらにしゃがんでいる別の女性。ピーンと来て、薄着の季節になると着ると涼しい長いスカート。ただし自転車に乗るときは、履いちゃだめ。
高校三年の夏。受験勉強真っ最中のとき、地元商店街で同様の事件発生。まだ買って間もなかったエスニック調のスカートが車輪に巻き込まれ、太ももも露わな姿に。朝早く道を行き交う中に親切な女性がいて、幸いにして商店街の中の洋装品店の方でした。店頭に出てるワンピースを着せてもらい、事なきを得た。不幸中の幸いで、今思い返すと幸運だったなぁ。白地に紺系統の模様が確か入ってたのでは。後日、母親がお礼に菓子折りを持っていってくれたと思う。遠い夏の記憶を思い出した。

2015年2月23日月曜日

浦島太郎

昔、イスラエルに行く前には、切れた凧のようにならずに、連絡をするんだよとお世話になった恩人から言われたのは忘れられない。当時はそうした危うさというか予兆が感じられていたのかもしれない。当の本人はそんな先のことまで考える余裕は多分持ちあわせていなかったと思うが。
2015年の今は、5年半ぶりの東京の生活、全てが慣れないことを思い出しつつ、新しいことを学びながら、ワクワク過ごしているせいか、楽しい。思ったほどに浦島太郎にはなっていないと自己評価。

2012年4月17日火曜日

三色そぼろ

ほぼ毎日読んでいるブログがある。そこでは家での花見用に三色そぼろ弁当がそれはそれは綺麗に作られた写真がアップされていた。
そのコメント欄:「三色弁当!懐かしいです。こんな手間のかかるお弁当を、仕事を持つ母は早く起きて作ってくれていたのです。みどりはいんげんだったと思います。それなのに、親不孝者の私は菓子パンを買うからお弁当はいらないなんてひどいこと言って。きれいなお弁当の写真を拝見してつい涙が出てしまいました。懸命に生きた母も6年前の桜が散って葉桜になるころ他界しました。  またひとつ天に近づく桜かな」

母の命日を、このコメントを読んで、はっと思い出した。忘れていたとかではなくて。思い出せば涙もろくなってしまうのは避けられない。だからこの季節は嬉しいようで悲しいようで。桜、葉桜はもの悲しい。母親のそぼろ弁当の味は、牛ミンチだったり鶏ミンチだったりしたような。そして三色ではなくて二色だっただろうか。
色んなことを思い出させたブログとコメント欄。自分は母親が毎日お弁当を作ってくれる有難味を分かっていたつもりだったけど、でも本当にすごいことだと思う。6年間毎日どうもありがとうございました。