友人とチャット中に、先方には母親から電話がかかってきたらしい。普段日中は働いているし、久しぶりのことだろうから、母親と話して、終わったらチャットを続けようということになった。一時間近くたったが、未だ電話は終わらない様子。そうこうするうちに先方からはメールが届いていた。ごめんね、でもいつも母親と話せるわけではないので、というすまなさそうな内容。それで今日のところはチャットを再開するのはやめておこうと思い、メッセージを返信してチャットのウィンドウを閉じた。
なぜだか泣けてきたのは、私よりも母親を選ぶの?などという可愛らしい気持ちからではなくて、自分にはこうした電話がかかってこなくなってから過ぎた年月の長さに思いを馳せたからだ。歳を重ねるのは、気持ちをどう処理すればいいのかという、自分との付き合い方が分かってくる点で楽だ。一方で、自分に妙に慣れてしまった自分自身が10年前からはずいぶんと遠いところにやってきてしまったことに改めて気づく。
2010年2月3日水曜日
年齢
いつも歳を重ねるたびに、多分それは15歳のころからだけれども、その歳になってみると、思い描いていた、あるいは憧れていたようなものとは違うことに気づく。自分がその年齢に見合っていない居心地の悪さのようなものを感じる。こう書くとそれは自分の自信のなさからくるものだとと受け止められそうだが、そうではないと思う。恐らくは、世間で想定されている歳相応の生活なり考え等々と、私自身が年齢を重ねていくペースが噛み合っていないんだと思う。死ぬまでこうしてズレを感じながら生きて行くのか、でも時たま、自分のペースが社会と合致すると嬉しくなったりもする。これも本当のところ。
2009年4月27日月曜日
葉わさび
もうすぐ5月を迎えるなんて、時が過ぎるのは本当に早い。今日は国分寺で、久しぶりに葉わさびを見つけた。葉わさびの醤油漬けは母方の祖父の好物だったと聞いている。
自分は6月に海外に赴任する前という感傷的な時期にいるせいでもあるが、日本の旬、特に蕗だとか、新ゴボウだとか、山菜系を食べて春の力を体内に取り込みたい。そんな気持ちでいっぱいのこの頃である。それで葉わさびを買った。
母の9回忌は先週月曜日のことだった。そろそろ三十を迎えようというせいなのか、母親が作っていた料理が懐かしくなっている。9回忌の日には無性に食べたくなったので、蕗を煮、新ゴボウのキンピラを初めて作った。そして、それを母と兄の写真の前に飾った。ミントと一緒に花も飾った。母は5月を好きだったので、春の力を食べてもらいたいと思った。
自分は6月に海外に赴任する前という感傷的な時期にいるせいでもあるが、日本の旬、特に蕗だとか、新ゴボウだとか、山菜系を食べて春の力を体内に取り込みたい。そんな気持ちでいっぱいのこの頃である。それで葉わさびを買った。
母の9回忌は先週月曜日のことだった。そろそろ三十を迎えようというせいなのか、母親が作っていた料理が懐かしくなっている。9回忌の日には無性に食べたくなったので、蕗を煮、新ゴボウのキンピラを初めて作った。そして、それを母と兄の写真の前に飾った。ミントと一緒に花も飾った。母は5月を好きだったので、春の力を食べてもらいたいと思った。
2009年1月1日木曜日
黒豆
大晦日の昨日、渋谷の東急で、黒豆と数の子を購入。黒豆は当初購入予定ではなかったが、なぜだか、大勢の客の熱気のせいなのか、買わなきゃいけない気になった。
夜は姉が仕事から帰るのを待って、年越しそばと黒豆を食した(そのとき数の子はまだ塩抜き中だった)。一足早い黒豆をつつきながら、母が昔正月に作ってくれていた、あの固い、粘り気のある黒豆を思い出していた。自分にとって煮豆は一年に一回、母親が作るあの黒い固い豆だった。やわらかいふっくらとした煮豆は、何か煮豆を食べた気がしない。姉はいつか自分たちも黒豆を煮るようになるのだろうか、と言った。私は出来合い品に頼って、今後もまた正月を迎えていくのだろうと思った。
夜は姉が仕事から帰るのを待って、年越しそばと黒豆を食した(そのとき数の子はまだ塩抜き中だった)。一足早い黒豆をつつきながら、母が昔正月に作ってくれていた、あの固い、粘り気のある黒豆を思い出していた。自分にとって煮豆は一年に一回、母親が作るあの黒い固い豆だった。やわらかいふっくらとした煮豆は、何か煮豆を食べた気がしない。姉はいつか自分たちも黒豆を煮るようになるのだろうか、と言った。私は出来合い品に頼って、今後もまた正月を迎えていくのだろうと思った。
2008年12月30日火曜日
鶏うどん
早いもので2008年が終わる。年末年始、行き場のない私は、考えあぐねた末、年始にベトナムを10年振りに訪れることにした。受け入れてくれるK先輩に本当に感謝。
親戚のS伯母さんは有難くも広島へ招待してくれていたが、東京で年末年始なく働く姉と当分の間、最初で最後の一緒の年越しとなると分かっていたので、東京に留まることにした。
昨夜は、姉の作ってくれた暖かい鶏うどんを食しながら、4月以来初めてゆっくり話をした。今春に再社会人として出発し、一方で姉は秋に転職を果たしたことで、自分自身がゆったりとした気持ちで姉と接することが出来た。本当に久々に味わった、姉との落ち着いた会話。大人になってこういう会話をする日がやって来たことが、心の底から嬉しかった。来年3月以降には温泉に姉といくことを約束した。記憶が薄れつつある家族との会話ってこんな感じなのか。
親戚のS伯母さんは有難くも広島へ招待してくれていたが、東京で年末年始なく働く姉と当分の間、最初で最後の一緒の年越しとなると分かっていたので、東京に留まることにした。
昨夜は、姉の作ってくれた暖かい鶏うどんを食しながら、4月以来初めてゆっくり話をした。今春に再社会人として出発し、一方で姉は秋に転職を果たしたことで、自分自身がゆったりとした気持ちで姉と接することが出来た。本当に久々に味わった、姉との落ち着いた会話。大人になってこういう会話をする日がやって来たことが、心の底から嬉しかった。来年3月以降には温泉に姉といくことを約束した。記憶が薄れつつある家族との会話ってこんな感じなのか。
2008年3月7日金曜日
仕草
先日たまたま車の助手席に乗せてもらうことがあった。
運転していた人は時間に急いていたせいか、もともとなのか、結構荒い運転だった。
だからもちろんシートベルトをしていても体は揺れ動くしで、ちょっとだけ恐かった。
あるとき、左から年代物のいわゆるアンティーク・カーっぽい車が目の前に入ってきて、あんまり運転に慣れていないせいか、こちらの運転する側がイライラしだした気がした。しばらくその車の後ろを走っていると、こちらが急ブレーキをかけなければならないような運転をした。そのとき、私は自然と右手をダッシュボードに伸ばし、身体が急ブレーキの衝撃を受けないようにした。そして、ふと気づくと運転する人の左手が私の右腕に添えられていた。結局急ブレーキはかけずにすみ、その左手にお世話になることはなかったけれど、それは私がその人にほれた瞬間だった。荒い運転するなというお叱りも十理ありますけれども。かっこよかったな。
運転していた人は時間に急いていたせいか、もともとなのか、結構荒い運転だった。
だからもちろんシートベルトをしていても体は揺れ動くしで、ちょっとだけ恐かった。
あるとき、左から年代物のいわゆるアンティーク・カーっぽい車が目の前に入ってきて、あんまり運転に慣れていないせいか、こちらの運転する側がイライラしだした気がした。しばらくその車の後ろを走っていると、こちらが急ブレーキをかけなければならないような運転をした。そのとき、私は自然と右手をダッシュボードに伸ばし、身体が急ブレーキの衝撃を受けないようにした。そして、ふと気づくと運転する人の左手が私の右腕に添えられていた。結局急ブレーキはかけずにすみ、その左手にお世話になることはなかったけれど、それは私がその人にほれた瞬間だった。荒い運転するなというお叱りも十理ありますけれども。かっこよかったな。
フランスパンのはじっこ
以前ふとした拍子に、4歳の頃に大阪の箕面に住んでいた時のことを思い出した。
母親はスーパーの買い物帰りに、購入したフランスパンのはじっこをちぎってはいつも近所の田んぼを駆け回る野良犬にあげていた。名前はなんだったか、ポン太だったかなぁ。
私は私で固いフランスパンのはじっこ、好きだったんだけど。今も好き。
母親はスーパーの買い物帰りに、購入したフランスパンのはじっこをちぎってはいつも近所の田んぼを駆け回る野良犬にあげていた。名前はなんだったか、ポン太だったかなぁ。
私は私で固いフランスパンのはじっこ、好きだったんだけど。今も好き。
登録:
投稿 (Atom)
