2010年8月27日金曜日
気づき
叔母には10月にといっていたが、9月にイスタンブールに来てもらうことにした。こういうのは話始めたら事が決まるのは早い。何しろ旅は大きな楽しみだから。イスタンブールに来たら、隣の大家さんに紹介しようと思う。そのときのことを想像しながら、きっと叔母は大家さんに日本語で「まぁいつも姪がお世話になりまして」と言うだろうと考えるとふと可笑しくなった。それと同時に、私との関係でこうした挨拶をしてくれる人というのは、叔母と姉だけになったことに気付いた。私が母親に友人や知人を紹介するときに、必ず母親がするであろう挨拶であること、そして久しくそんな挨拶を聞く機会もなかったことを思った。これからもこういう機会は増えはしないだろう。願わくば自分がその挨拶をする番になるだろう。歳を重ねていくというのは、こういう経験の繰り返しなのかもしれない。ふと気付くか気付かないままか、そういう類のものだけれども。
2010年6月8日火曜日
塩野七生の本
『ロードス島攻防記』を読んでいたらキプロス島に行きたくなった。だから行った。
『コンスタンティノープルの陥落』に続いて、塩野七生の著作を少しづつ読み進めている。そもそも母親が特に関心を寄せて読んでいたせいで、家の本棚には多数の作品があった。あの頃は未だ関心が湧かずに、単に題名を眺めているだけだった。一番最初に手に取った塩野作品は、恐らく『ルネッサンスの女たち』。学校の宿題であった感想文を書くために読んだ記憶がある。今は内容を覚えていない。母親がかつて買い集めた本を読むたびに、母親自身がこれらの本を読んでいた時期に、何を感じていたのだろうと思いをはせるのは好きだった。過去について多くを語ることはなかった母親だったからだ。結局、私の好きな作家のほとんどは、母親の影響だ。沢木耕太郎、須賀淳子、塩野七生。母親のあの本たちはどこに行ってしまっただろう。
『コンスタンティノープルの陥落』に続いて、塩野七生の著作を少しづつ読み進めている。そもそも母親が特に関心を寄せて読んでいたせいで、家の本棚には多数の作品があった。あの頃は未だ関心が湧かずに、単に題名を眺めているだけだった。一番最初に手に取った塩野作品は、恐らく『ルネッサンスの女たち』。学校の宿題であった感想文を書くために読んだ記憶がある。今は内容を覚えていない。母親がかつて買い集めた本を読むたびに、母親自身がこれらの本を読んでいた時期に、何を感じていたのだろうと思いをはせるのは好きだった。過去について多くを語ることはなかった母親だったからだ。結局、私の好きな作家のほとんどは、母親の影響だ。沢木耕太郎、須賀淳子、塩野七生。母親のあの本たちはどこに行ってしまっただろう。
2010年4月28日水曜日
バレエ
9歳から18歳までバレエを習っていた。もうバレエを踊ることは出来ないけれど、バレエを始めとした踊り全般を観るのは今も好き。この4月はロシアからの「マタハリ」にバレエ・ガラに、大学のダンス祭へと踊りに触れる機会が多かった。でもイスタンブールにやってきていたシルヴィ・ギエムのモダンバレエを観る機会を逃してしまったのは非常に残念。踊り、特にバレエの何が好きかといえば、舞台の一瞬のために練習を重ねてきた、つまりは人々の生きざまがそこにあるから。もちろん華やかな夢物語が踊られていたりするけれども、最近はどうしてもその後ろまで見えてしまう気がする。そして何よりも、下手なりにバレエに打ち込んでいたあの頃の自分と、それを見守っていた母親、そして大野城での生活を思い出す。
2010年3月29日月曜日
大豆肉
近所のスーパーで、なんと大豆肉(鶏肉もどきのそれ)を発見。思わず沢山買いこみそうになったが、まずは一袋にとどめておいた。というのも、子どもの頃、生協で売っていたのだろう、母親が一時期はまって、これを使って唐揚げを作っていた記憶がある。13歳過ぎまで、肉といえば、ベーコンやソーセージ、ミンチ肉といった形でしか肉を口に出来なかった者としては、鶏肉のような触感をもつ何とも不思議な大豆製品に舌鼓を打ったものだった。いつしか家での流行も終わり、記憶からその存在も消え去っていたが、ここイスタンブールにてこの思い出とともにその味を楽しんだ。そもそもこの家庭内流行がおさまったのも、私が美味しいと言えば、母親は私が飽きるまで作ってくれていたのだから、きっと私が勝手に飽きてしまったのだろう。こういう小さな思い出を誰かに確認することも出来ず、一人で思い出しては記憶が二度と思い出されないことがあってはならないという気持ちでここに記している。
小学生の頃、何か記念的なことが起きたりすると、その一瞬一瞬が惜しくて、何かに書き残しておきたいという思いが人一倍強かった気がする。今また大人になって、このくせが出始めているのか、あるいは自分はちっとも変わっていなかったのかもしれない。
小学生の頃、何か記念的なことが起きたりすると、その一瞬一瞬が惜しくて、何かに書き残しておきたいという思いが人一倍強かった気がする。今また大人になって、このくせが出始めているのか、あるいは自分はちっとも変わっていなかったのかもしれない。
2010年3月17日水曜日
母親からの電話
友人とチャット中に、先方には母親から電話がかかってきたらしい。普段日中は働いているし、久しぶりのことだろうから、母親と話して、終わったらチャットを続けようということになった。一時間近くたったが、未だ電話は終わらない様子。そうこうするうちに先方からはメールが届いていた。ごめんね、でもいつも母親と話せるわけではないので、というすまなさそうな内容。それで今日のところはチャットを再開するのはやめておこうと思い、メッセージを返信してチャットのウィンドウを閉じた。
なぜだか泣けてきたのは、私よりも母親を選ぶの?などという可愛らしい気持ちからではなくて、自分にはこうした電話がかかってこなくなってから過ぎた年月の長さに思いを馳せたからだ。歳を重ねるのは、気持ちをどう処理すればいいのかという、自分との付き合い方が分かってくる点で楽だ。一方で、自分に妙に慣れてしまった自分自身が10年前からはずいぶんと遠いところにやってきてしまったことに改めて気づく。
なぜだか泣けてきたのは、私よりも母親を選ぶの?などという可愛らしい気持ちからではなくて、自分にはこうした電話がかかってこなくなってから過ぎた年月の長さに思いを馳せたからだ。歳を重ねるのは、気持ちをどう処理すればいいのかという、自分との付き合い方が分かってくる点で楽だ。一方で、自分に妙に慣れてしまった自分自身が10年前からはずいぶんと遠いところにやってきてしまったことに改めて気づく。
2010年2月3日水曜日
年齢
いつも歳を重ねるたびに、多分それは15歳のころからだけれども、その歳になってみると、思い描いていた、あるいは憧れていたようなものとは違うことに気づく。自分がその年齢に見合っていない居心地の悪さのようなものを感じる。こう書くとそれは自分の自信のなさからくるものだとと受け止められそうだが、そうではないと思う。恐らくは、世間で想定されている歳相応の生活なり考え等々と、私自身が年齢を重ねていくペースが噛み合っていないんだと思う。死ぬまでこうしてズレを感じながら生きて行くのか、でも時たま、自分のペースが社会と合致すると嬉しくなったりもする。これも本当のところ。
2009年4月27日月曜日
葉わさび
もうすぐ5月を迎えるなんて、時が過ぎるのは本当に早い。今日は国分寺で、久しぶりに葉わさびを見つけた。葉わさびの醤油漬けは母方の祖父の好物だったと聞いている。
自分は6月に海外に赴任する前という感傷的な時期にいるせいでもあるが、日本の旬、特に蕗だとか、新ゴボウだとか、山菜系を食べて春の力を体内に取り込みたい。そんな気持ちでいっぱいのこの頃である。それで葉わさびを買った。
母の9回忌は先週月曜日のことだった。そろそろ三十を迎えようというせいなのか、母親が作っていた料理が懐かしくなっている。9回忌の日には無性に食べたくなったので、蕗を煮、新ゴボウのキンピラを初めて作った。そして、それを母と兄の写真の前に飾った。ミントと一緒に花も飾った。母は5月を好きだったので、春の力を食べてもらいたいと思った。
自分は6月に海外に赴任する前という感傷的な時期にいるせいでもあるが、日本の旬、特に蕗だとか、新ゴボウだとか、山菜系を食べて春の力を体内に取り込みたい。そんな気持ちでいっぱいのこの頃である。それで葉わさびを買った。
母の9回忌は先週月曜日のことだった。そろそろ三十を迎えようというせいなのか、母親が作っていた料理が懐かしくなっている。9回忌の日には無性に食べたくなったので、蕗を煮、新ゴボウのキンピラを初めて作った。そして、それを母と兄の写真の前に飾った。ミントと一緒に花も飾った。母は5月を好きだったので、春の力を食べてもらいたいと思った。
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