2012年3月22日木曜日
マイペース
時間の流れというのは、本当に不思議。インターネットの新聞記事を読んでいると、ある芸能人は元気がないときには、自分の好きな和食を作ると述べていた。へぇぇ日本の若い男性が自分でお味噌買いに行って、お味噌汁を作って、ご飯炊いて、豆腐に納豆かけて、というのを出来るんだと。30歳らしい。そりゃそうだ社会に出て何年も経っているのだから、それくらい出来ないと。これとは別の記事で誰かが81年生まれで30歳と聞いて、79年生まれの私はとっくに30歳を超えている。不思議。もう30歳で時が止まってしまったかのような気がする。海外にいると、自分がいつまでも若いように感じてしまうみたい。日本が年齢を重んじるから。各年齢ごとに、こうあるべき、あるはずだ、という決まりごとがあるからだと思う。自分は日本にいると息苦しいと思ってしまう。それはその決まりごとのペースと、自分のペースが合わないからだ。そんな分かり切ったこと、こうして考えてみて、はっきりした。ペースが合わない。だからだ。日本にこだわらない、そういう仕事をしたいと思う今日この頃。
2011年5月18日水曜日
ウド
先日、トルコ東部を旅した。トルコでは大都市イスタンブールでも、その他の場所はもちろんのこと、町のあちこちで野菜・果物等を手押し車に載せて売り歩く人々の姿を見かける。東部のヴァン(VAN)の街角で、ふっと目に入ってきたのは、日本のウドのような植物だった。思わずもの珍しげにそのウドらしき植物に目を留めていると、それを売り歩いていたお兄さんたちは、その植物の茎をポキッと折って、味見させてくれた。イスタンブールでは見かけたことがないけれど、お兄さんたちの説明曰く、山から採ってきたものだそう。IŞIKIN(トルコ語でウシュクンと発音)というものらしい。食べてみてウドの味ではないことを確認したが、酸っぱくて、瑞々しかった。家に帰って辞書でこの植物を探してみたが、載っていなかった。日本で言う、きっと山菜の枠に当てはまるのだろう。こちらで食べられている、生のアーモンドにしろ、生のクルミにしろ、季節ものは、その味よりは、それを味わうこと自体に意味があるんだろう。春を待ち遠しく思うのは皆一緒だ。
2011年3月1日火曜日
千切りキャベツとハンバーグ
18歳で親元を離れて暮らすようになって、初めてハンバーグを作った。確かに初めてのこと。ある雑誌の料理記事で、ハンバーグは人のためにつくる料理云々と書かれていて妙に納得していたけれど、それでも自分一人のためにハンバーグを作った。毎週土曜日に開かれるSisliのオーガニック野菜市場で、緩い巻きの早生キャベツを見つけたのが直接の動機かもしれない。普段見掛けるキャベツは巻きのきつい冬キャベツで、生で千切りをバリバリと食べるには適していない気がする。それに肉や魚だって少しは毎日食べなくてはと自覚し始めたこともある。大腸検査をして、自分の腸は綺麗だったけれど、だからこそ人間の身体の仕組みを改めて思い知った気がする。口に入れるものには気をつけなくはいけない、というように。ハンバーグの話に戻ると、いつも太めの千切りキャベツと、ハンバーグ、それにしょうゆで食べるのが我が家流だった。つまりは13年以上も我が家流のハンバーグを長いこと食べていなかったことになるけれど、食べながら昔のことが思い出された。食べ物とそれにまつわる記憶。それはいつも一人切なくなる。
2010年12月27日月曜日
〆サバ
〆サバに刻んだ赤い唐辛子が載ったものを食べたのは、大野城のあのスーパーの鮮魚売り場にあったから。スーパーの名前はもう覚えていないけれど、紺色と濃いめの水色が基調のスーパーだった記憶がある。母親がその〆サバをいつか買ってきてくれて、〆サバと赤唐辛子を醤油で食べる楽しみを覚えた。そうするといつものように母親は同じものをずっと買ってきてくれるようになった。あのスーパーの駐車場で、よっこらせと駐車する姿を覚えている。思えば50歳近くになって取得した自動車運転免許で、あのあたりを楽しそうに運転していたなぁ。博多駅周辺にも連れていってもらった。もっと一緒にドライブに行きたかったなぁ。どうしてもっと音楽カセットを録音してあげなかったんだろう。数本のカセットには飽きていたことを知っていたのに。本当に後悔ばかり。お母さん。
2010年12月10日金曜日
三つ子の魂百まで
今週は家庭教師との授業が上手くいかない。ある単語の意味をなかなか理解できずに誤った使用法で書きあげた文章を教師が見て、その間違いに驚いてみせる。そして、私が納得するまで説明に何十分も時間を費やす。仕舞にはこんな間違いをする生徒を人生で初めてみたとまで言う。人生、こんなことあってもいいんではないかね。これが二回ともの授業で続いた。
そこで思い出したのは、箕面のアオマダニ幼稚園のときのこと。お絵描きの時間に、(そこは仏教系の幼稚園だったので)山車に乗った園児たちの様子をクレヨンと水彩を使って描いていた。当時の園の制服は、確か白シャツに紺色のスカート・ズボン。それがどうして私の絵を見ると、子どもたちのシャツの色は肌色に塗ってある。先生はそれを見て、白色に塗り替えさせたいらしい。どうしてシャツを着ているのに肌色なのかを延々と説教され、先生は怒りだし、私はそうしたいからだと泣き出した嫌な覚えがある。今考えても、私はそうしたかったのだ。理由がなかったとしても。(大体において理由がしっかりしていなかったりするから、私の分が悪くなるのだけれど。)
これを思い出したのは、つまりは自分が納得しないことには指一本も動かしたくない、そんな自分はあのときからちっとも変わっていなんだなぁということ。懐かしい、でも未だに忘れない思い出。記憶の奥にしまってある。くやしかったんだろうな。3歳の私。
そこで思い出したのは、箕面のアオマダニ幼稚園のときのこと。お絵描きの時間に、(そこは仏教系の幼稚園だったので)山車に乗った園児たちの様子をクレヨンと水彩を使って描いていた。当時の園の制服は、確か白シャツに紺色のスカート・ズボン。それがどうして私の絵を見ると、子どもたちのシャツの色は肌色に塗ってある。先生はそれを見て、白色に塗り替えさせたいらしい。どうしてシャツを着ているのに肌色なのかを延々と説教され、先生は怒りだし、私はそうしたいからだと泣き出した嫌な覚えがある。今考えても、私はそうしたかったのだ。理由がなかったとしても。(大体において理由がしっかりしていなかったりするから、私の分が悪くなるのだけれど。)
これを思い出したのは、つまりは自分が納得しないことには指一本も動かしたくない、そんな自分はあのときからちっとも変わっていなんだなぁということ。懐かしい、でも未だに忘れない思い出。記憶の奥にしまってある。くやしかったんだろうな。3歳の私。
2010年10月18日月曜日
Lumpenproletariat
日本の叔母が持ってきてくれた新聞のコラムの中にルンペンという言葉が出てきた。何だか懐かしい響きをもった、でも長い長い間聞くことがなかった言葉。小学生の頃、男の子たちが使っていた言葉。改めてインターネット辞書を引いてみれば次のとおり。
ルンペンの語源は、布切れやボロ服を意味するドイツ語「Lumpen」である。「ごろつき」を意味する「Lumpenhund」や、マルクスが労働意欲を失った浮浪的無産者や労働者階級から脱落した極貧層を「Lumpenproletariat」と称したことから、日本では浮浪者などの意味で扱うようになった(語源由来辞典より)。
今はもあまり使われることもない言葉の一つになったでしょう。こうして言葉は生み出され、忘れられていき、淘汰されるのかな。
ルンペンの語源は、布切れやボロ服を意味するドイツ語「Lumpen」である。「ごろつき」を意味する「Lumpenhund」や、マルクスが労働意欲を失った浮浪的無産者や労働者階級から脱落した極貧層を「Lumpenproletariat」と称したことから、日本では浮浪者などの意味で扱うようになった(語源由来辞典より)。
今はもあまり使われることもない言葉の一つになったでしょう。こうして言葉は生み出され、忘れられていき、淘汰されるのかな。
2010年9月26日日曜日
沢木耕太郎の本
いつの頃から彼の書く本を読むようになったのかきちんと覚えていないが、母が買う本の間に沢木耕太郎の名前があった。それが沢木本を読み始めたきっかけであることは覚えている。どの本を最初に読んだかも覚えていないが、一旦読み始めてからは彼の書いたものを一気に気に入り、それから段々と読むようになった。読んでいてここまで違和感の感じない作家はいない。恐らく自分が嫌いだと思うものの考え方、そしてものの感じ方が似ているのだと思う。少なくとも本に書いてあることから判断するには。こういう作家の書く本に出会えた自分は幸せだと思う。そして彼の本を新しく読み始めるたびに、読み終わってしまうであろうことが、どうにも惜しいと思う。ずっとその本の中にいたいと思う。そして時が経ってからも読み直す。それもまた格別。本を開けば、そこに沢木耕太郎の世界が広がり、自分も中に溶け込める。
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