2011年5月18日水曜日

ウド

先日、トルコ東部を旅した。トルコでは大都市イスタンブールでも、その他の場所はもちろんのこと、町のあちこちで野菜・果物等を手押し車に載せて売り歩く人々の姿を見かける。東部のヴァン(VAN)の街角で、ふっと目に入ってきたのは、日本のウドのような植物だった。思わずもの珍しげにそのウドらしき植物に目を留めていると、それを売り歩いていたお兄さんたちは、その植物の茎をポキッと折って、味見させてくれた。イスタンブールでは見かけたことがないけれど、お兄さんたちの説明曰く、山から採ってきたものだそう。IŞIKIN(トルコ語でウシュクンと発音)というものらしい。食べてみてウドの味ではないことを確認したが、酸っぱくて、瑞々しかった。家に帰って辞書でこの植物を探してみたが、載っていなかった。日本で言う、きっと山菜の枠に当てはまるのだろう。こちらで食べられている、生のアーモンドにしろ、生のクルミにしろ、季節ものは、その味よりは、それを味わうこと自体に意味があるんだろう。春を待ち遠しく思うのは皆一緒だ。

2011年3月1日火曜日

千切りキャベツとハンバーグ

18歳で親元を離れて暮らすようになって、初めてハンバーグを作った。確かに初めてのこと。ある雑誌の料理記事で、ハンバーグは人のためにつくる料理云々と書かれていて妙に納得していたけれど、それでも自分一人のためにハンバーグを作った。毎週土曜日に開かれるSisliのオーガニック野菜市場で、緩い巻きの早生キャベツを見つけたのが直接の動機かもしれない。普段見掛けるキャベツは巻きのきつい冬キャベツで、生で千切りをバリバリと食べるには適していない気がする。それに肉や魚だって少しは毎日食べなくてはと自覚し始めたこともある。大腸検査をして、自分の腸は綺麗だったけれど、だからこそ人間の身体の仕組みを改めて思い知った気がする。口に入れるものには気をつけなくはいけない、というように。ハンバーグの話に戻ると、いつも太めの千切りキャベツと、ハンバーグ、それにしょうゆで食べるのが我が家流だった。つまりは13年以上も我が家流のハンバーグを長いこと食べていなかったことになるけれど、食べながら昔のことが思い出された。食べ物とそれにまつわる記憶。それはいつも一人切なくなる。