2010年12月10日金曜日

三つ子の魂百まで

今週は家庭教師との授業が上手くいかない。ある単語の意味をなかなか理解できずに誤った使用法で書きあげた文章を教師が見て、その間違いに驚いてみせる。そして、私が納得するまで説明に何十分も時間を費やす。仕舞にはこんな間違いをする生徒を人生で初めてみたとまで言う。人生、こんなことあってもいいんではないかね。これが二回ともの授業で続いた。
そこで思い出したのは、箕面のアオマダニ幼稚園のときのこと。お絵描きの時間に、(そこは仏教系の幼稚園だったので)山車に乗った園児たちの様子をクレヨンと水彩を使って描いていた。当時の園の制服は、確か白シャツに紺色のスカート・ズボン。それがどうして私の絵を見ると、子どもたちのシャツの色は肌色に塗ってある。先生はそれを見て、白色に塗り替えさせたいらしい。どうしてシャツを着ているのに肌色なのかを延々と説教され、先生は怒りだし、私はそうしたいからだと泣き出した嫌な覚えがある。今考えても、私はそうしたかったのだ。理由がなかったとしても。(大体において理由がしっかりしていなかったりするから、私の分が悪くなるのだけれど。)
これを思い出したのは、つまりは自分が納得しないことには指一本も動かしたくない、そんな自分はあのときからちっとも変わっていなんだなぁということ。懐かしい、でも未だに忘れない思い出。記憶の奥にしまってある。くやしかったんだろうな。3歳の私。

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